第一次選考あと一歩作品詳細

『勿忘草の向こうで』 矢倉 石丸


選評

イラクで現地の運転手の死によって生きながらえた報道カメラマンは、帰国後、祖父であり、最強の武術家の武智の死を知らされる。葬式にかけつけると、そこには美しい少女、明日香が道場の2代目をつとめていた。主人公はすぐに明日香に惹かれる。だが明日香は、20年前、レイプされた上に妊娠した中学生の少女が生んだ娘であり、その復讐に燃えていた。すでにふたりのレイプ犯を亡き者にし、最後の男を追おうとする明日香。主人公は明日香の復讐を止めようとするが、目を離したすきに明日香はそれを遂げて自殺してしまう。すんでのところで助けたものの、明日香は失血による記憶喪失で主人公のことを忘れてしまう。主人公はそれでも、自首しようとする明日香を止めて、共に生きようと決意する──。物語がはじまってしばらく、柔道の有段者で空手の使い手でもある主人公が、小さな体のヒロイン明日香に体もなくひねられる、道場での場面は秀逸。その後の明日香との自然の中での食事の場面、はたまた酔いにまかせてさまざまな関節技をきめられる主人公のマヌケさ。気の合うふたりの無邪気なやりとりは読んでいて楽しい(ふたりの間にはセックスはないが、少女が武術家という設定により、この幸福感のあるいちゃつき場面が生まれた)。報道カメラマンというディテールについてはリアルでよく取材しているし、おそらく明日香が駆使する古武道に関しても門外漢の目から見た限りではあるがリアリティを感じさせるもので、作者はそうとう力のある書き手であることがわかる。ただ、難を言えば、物語が数日間に起こるエピソードであり、後半からの明日香がふたりの男を殺害→東京での3人目の捜索→復讐の完結→明日香の自殺→救出→療養そして説得… そうした多くの要素を詰め込むには短すぎるということ。もしこれが「盛りを過ぎた老練な作家の晩年の作品」ならば「なかなかよくできた中編」と評価できるかもしれないが新人作家のデビュー作としては軽すぎるような気がする。矢倉さんの筆力があれば、もっと深くて読み応えのある物語世界を描けるだろう。その点が非常にもったいない感じがする。明日香が復讐に走りはじめる後半部分をさらに厚くするか、「母の仇討ちをする娘」といういくぶん古くさい題材を根本から見直して同じキャラクターを使ったまったく別の物語を読んでみたい。

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