第二次選考通過作品詳細

『哀色の海』 坂野 一人

病院に栄養士として勤務する琴江には、真面目な銀行員の恋人・仲里がいたが、親友の元彼で画家の津上に惹かれていく。創作活動に専念するため、故郷の信州に移住した津上のもとに向かう琴江。二人は一緒に過ごすうちに、相性のよさ、価値観が合うことを確信したものの、琴江は海のない山に囲まれた土地に違和感を覚える。強引なところはあるけれど、自分を必要としている仲里と、そのままの自分を受け入れてくれる津上との間で揺れる琴江。そして、娼婦だったと思われる琴江の母を恨んでいた祖母の死の直後、琴江は銀行員の仲里か津上のどちらかの子を妊娠していることに気づく。仲里とも津上とも別れ、堕胎する決心をした琴江だったが、津上はすべてを受け入れ、自分の住む故郷の海の町へ来てくれた。


選評

『哀色の海』は、昭和の時代を舞台に、結婚相手として申し分のない銀行員の仲里と、経済力はないが男として魅力のある画家の津上の間でゆれ動くヒロイン琴江の心情を、格調高い文体で描いた作品です。

 委員からは一様に「作品としての完成度の高さ」に評価が集まりました。また、ふたりの男の間で揺れるヒロインの心理描写も絢爛豪華で、「ものすごい筆力をもった作者」(広坂)という意見がありましたが、「作品全体を哀愁が覆っており、情感はあるのに、心理描写における凝った表現はかえってわかりづらく、ヒロインへの感情移入のさまたげになっている」(坂梨)という反論もありました。

 また、「ヒロインの居住まいが、20代という設定にもかかわらず、いかにも昭和の女という感じで共感できなかった」(梅村)、「ふたりの男の職業が銀行員と画家という設定は、古臭い感じがする。昔の小説を読んでいるようで新作感がない」(稗田)といった意見も多くありました。昭和50年代から60年代という時代設定にも「平成に差し掛かった時代なのに、まるで戦前の昭和を思わせる部分もあり、全体的な雰囲気にはちぐはぐな印象を感じる」(広坂)という疑義も出ました。いっそのこと、時代設定を思いきりさかのぼり、その前時代的な雰囲気を売りにするような大胆さがこの作品には必要だったのかもしれません。
一覧に戻る