最終審査講評

浅倉 卓弥 Asakura Takuya / 作家

『カフーを待ちわびて』 原田 マハ

他の候補作から際立たせたのは読後感の良さだった。この点を高く評価した選考委員が多かったことが今回の大賞受賞に繋がった。カットバックの使い方にやや難はあったけれど、言葉の選び方も終始丁寧で視覚的な文章を書ける力を持った作者だと感じた。沖縄の習俗についての取材を作中に取り込もうとする姿勢も書き続けていくためには必要な資質だと思う。何より主人公たちの住む世界が開幕から無理なく立ち上がってくることは大きく評価できるだろう。確かに素材は古典的だしモチーフも類型的ではあるのだけれど、おそらく小説というメディアが提供できる感動の質というのは実はそれほどの振幅がある訳ではないと思う。どれほど時代を経ても人が喜怒哀楽という基本的な感情を失うことはないはずだ。作者には、今後は特に時間的な構成への目配りに留意し、持ち前の丁寧さで多くの読者に良質な物語を提供し楽しませていただきたいと思う。


『スイッチ』 佐藤 さくら

正直一番評価に困った作品だった。キャラクターの造形や個々のエピソードの作り込みはもう本当に抜群に上手いし描写のセンスも光るものがあるのだが、文章がやや雑なためそういった長所が活かしきれていないように読めたのである。まだ書き慣れていないのかなとも思ったのだが、それでも後半に入ると多少の慣れも出て、何より物語の勢いが欠点を凌駕し思わずしっかり引き込まれていた。作品の力は間違いなく強く、他の委員の強力な推薦にも納得している。未完成でも潜在的な才能を発掘するのが新人賞の趣旨であればあるいは大賞でもおかしくなかったかとも思う。刊行が決まった以上は作者には一日も早く御自身のスタイルを確立してほしい。一点だけプロットに注文をつけさせてもらえば、ラストではもう少し主人公を突き放しむしろ戯画的にエピローグを収束させた方が全体の調和が取れていたかもしれないと感じたことを付記しておく。


『雨の日の、夕飯前』 中居 真麻

自らは愛することのできない詩人の夫に生活を守られながら自分の居場所を見つけられずにいるヒロインの一人称で物語が進んでいく。筆力は安定し、全篇がタイトル通り曇り空の下のような雰囲気の中で展開する。意識して演出された効果だとしたら大したものだなと思ったのだが、ところがむしろこの点があだになってしまった。本編のクライマックスは恋人の妻との対決の部分なのだけれど、相手のキャラクターの作り込みの浅さもあって肝心のこの場面が淡々と始まりそのまま終わってしまうのである。作中にどこか主人公が剥き出しになる部分が欲しかった。意図して描かれなかったと思われる母親との関係がきちんと提示されていれば、あるいは選考会の結果も違っていたかもしれないとも思う。言葉の選び方の丁寧さは候補作中一二を争うレベルだっただけに残念だった。赴きの異なる題材に挑んでみることも一つの手かもしれないと感じた。


『恋をしないセミ、眠らないイルカ』 サトウ サナ

他の候補作に比べて構成への意識が抜きん出て高かった。本編は十年前の夏の出来事を二十七になった主人公の現在の視点から書き起こす形を取っているのだけれど、導入部も工夫されていたし、開始すぐに殺人未遂の容疑で取り調べ室にいるという主人公の現在の状況を挿入することで読み手の興味を維持しようとする試みも成功している。だが後半に入り期待は収束してしまった。まず作者はヒロインとの交流をセミの一生になぞらえ七日間と規定したがっているのだが、描かれた相手の家族との関係の深化はこの日数で達成できる内容ではなかった。もう一つ、先に挙げた殺人未遂の動機はこの種明かしでは成立しないと思われる。特に第二の問題点は作品の根幹を成すものであるだけに看過できず、結果強く推すことができなかった。先行の作家の影響下にある文体だが筆力は安定しているのだから、今後も書き続けてほしいと思う。


『SONOKO』 片栗子

太平洋戦争時の日本に女性パイロットを登場させようという大胆なエンタテインメントだった。アイディアを成立させるために必要な取材をきちんとこなそうとしている姿勢にも好感が持てた。惜しかったのは内容と作品のサイズが合っていなかったことである。この着想を形にするのであればたぶん千枚を超す枚数が必要だろう。それを応募規定に合わせまとめようとしたためか、場面ごとの強弱がいびつになったり伏線が回収されないまま放り出されたりしている。物語の決着を急ぐ余り視点の移動も不必要に頻発し読み手の混乱を招く原因となってしまった感もある。作者にとって重要な作品なのだということは伝わってくるのだが、枚数を気にせず本作を完成させるか、あるいは別な題材を探してもう少しコンパクトな小説を書き起こし次回を目指していただくかは御本人に委ねるしかない。それでも個人的にはこの作者にエールを送りたく感じた。


『埋め込み式。』 佐々木 やち

愛することを捕らわれることと置き換えて、そこからの解放を模索した小説の一つの形として説明できるのかもしれない。だが読者に世界を立ち上げて見せることに失敗しているため全体が希薄な印象となった感は否めない。作者は十五歳という若さであるから二百枚を超す枚数を書き切った点は評価に十分値すると思うし、確かにはっとさせられる表現も随所に散見された。だが句読点の変則的な使用やセクションを選んでの人称代名詞のみによる記述などは、意図的なものだろうが成功しているとは言い難かった。作者にはまず、自分がどんな物語を書きたいのかを明確に持ってほしいと思う。たくさんの本を読み、誰のような作品をどういう読み手に提供したいのかということまで考えてみてもらいたい。今回の三次選考通過という結果も年齢的な要素に助けられた側面は否定できないのだけれど、努力できる時間的余裕がまだまだあることも事実だと思う。