第一次選考通過作品詳細
『ファッキン・エンジェル』 ブレイディみかこ
舞台は1987年のロンドン。語学留学生の「わたし」は、かつて故郷のダブリンで天才少年と謳われた美貌の詩人ジョンと出会い、つき合うようになる。仕事をいっさいしようとしないジョンのため、「わたし」は飯場の調理人として、日系クラブのホステスとして、甲斐甲斐しく不法就労にいそしむ。やがてジョンは突然、ダブリンに帰郷。ファックしたり、ドープを決めてストーンドする自堕落な日々から脱し、真面目な留学生に戻った「わたし」だったが、とうとうこらえきれなくなってダブリンのジョンの元を訪ねるのだった――。ロンドン、ダブリンを舞台にした、とびきりファッキンなだめんずラブストーリー!
選評
おそらく、作者の方の経歴から見て自伝小説の系譜に入る作品だと思います。自伝小説というのは、プロの作家でもある程度のキャリアを積んで力をつけてから書くというケースが多く、そこに「自ら経験したことを書く」という自伝小説の難しさがあると思うのですが、この作品は、エピソードや登場人物などが抑制され、計算高く配置されており、作品としてよくまとまっています。くわしくは書かれていませんが、20年後に中年女性になった作者が、20年前の自分を振り返るという文体がそうさせているのかもしれません。従ってストーリーはやや起伏に欠けるものの、「わたし」をはじめ、雇い主の森山さん、流れ者の関西人ケイタ、レゲエミュージシャンのチャドなどすべてが魅力的に描かれています。中でもだめんず男の詩人ジョンが、いい! ラスト、「わたし」から帰国することを打ち明けられたジョンが、幼いころに死なせてしまった飼い犬のことを静かに語り出しておきながら、途中でブチ切れるシーンは、素晴らしいのひとことでした。 欲を言うならば、「ドープを決めてストーンドした」といった独特の言い回しや表現をもっと多用し、崩した文体にしてもよかったのではと思いました(例えばアントニー・バージェスの『時計仕掛けのオレンジ』ばりに)。また、途中に何度か引用される、ビートルズやポーグスなど既成のミュージシャンの楽曲の歌詞には引用するほどの意味がないと思います。このような引用は、「どうしてもこの作品に必要だ」という強い理由がない限り、避けたほうがいいでしょう。それは、引用のある作品を出版するには、決して少なくない額の著作権使用料を支払わねばならないというだけでなく、他人の作品を自分の作品の道具として使うには、それなりの礼儀が必要であるという道義的な理由によるものです。物語の作者は、安易に引用にたよるのではなく、自分の作品を自分の言葉で演出する努力を怠ってはいけません。
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