第一次選考通過作品詳細

『ひよこのリリィ Lily The Chick』 山ノ内 結

京都祇園の芸妓屋形(置屋)の娘・井田千由里は、高校時代からアメリカに留学し、現在18歳、ニューヨーク・コロンビア大学に在籍している。祖父が危篤という実は偽りの知らせを受けて帰国した千由里は、クラス課題の解決の糸口として、リチャード・ストークス教授から創作を勧められ、自分自身を物語に書き綴っていた。祇園で彼女は、ストークス教授の息子のジュリアンに巡りあい、初めての恋に向きあうことになる。ジュリアンが読む千由里の書き綴った物語の最初のエピソードは、彼女が自分の父ではないかと信じている大学教授の藤崎氏に、自ら面会を求めて会いに行った顛末だった。千由里が藤崎氏に寄せる慕情と、新たに彼女の前に入り込んできたジュリアンへの思いのどちらを彼女は選ぶのか。


選評

強烈な印象を残す主人公である。私には黄色くないくちばしも爪もある、と言わんばかりに展開される彼女の怒濤の内面に蓄えられた知識と理解から繰り出される述懐は、一言「可愛げがない」と切って捨てたくなるほどだ。「小学校を卒業するまでに大学入試レベルの英語を習得し、中学一年のときに英検1級に受かり、中学二年の時点でTOEIC900点をとって」アメリカに留学し、名門大学で上田秋成を題材に創作について考察する18歳という設定は、ミステリーか何かのディフォルメされた天才的登場人物のようだが、そこまで必死に出生と物事の「真実」の姿を求める彼女の思いが向かう相手が「父」であることが明かされ、彼が作中作以外に姿をあらわす頃には、ドラマチックな恋の物語にはまりこまされている。 ここまでの自負と内面を持ち、「血の繋がった親」「保護者」「指導者」のいずれともつかぬがこのすべてでもあるらしい人物に寄せる主人公を作りあげているのは何か、主人公が自分のために書いている物語をジュリアンが読むという構成も見事。読者は強大な恋敵を抱えたジュリアンの視点に否応なく立たされ、作中作の末尾にしるされた書き込みに一緒に驚き、理不尽さまで感じる。恋人たちが初めて結ばれるシーンの描写も巧みに神話的な意匠がちりばめられ、物語の奥行きと結ばれたことの歓喜を印象づける。 欲を言えば、登場男性がみな主人公に対しては彼女を何らかのかたちで守ろうとする「洗練された」「大人」であり、そこにただひとり入り込んでくる強引な恋人でさえも実は例外ではないというところが、主人公の鮮やかな造形にくらべると人物描写が物足りない点であるように感じられた。

一覧に戻る