第一次選考通過作品詳細

『隻眼の女 』 鎌田 昭成

昭和三十年、上野駅や上野公園周辺(シマ)に浮浪者があふれていた時代。自衛隊を辞めて山口県から上京した悠太は、ひと月余りの職探しにもかかわらず職が見つからず、生き延びるために仕方なく、上野公園に落ち、なけなしの退職金を懐にかかえて浮浪者として暮らし始める。
顔に火傷を負った娼婦の春美は悠太に朝飯をおごられて、自らの体を与えて借りを返す。悠太はそれ以来シマの女の体に好奇心を持ち、老婆や大女と性交する。再び春美と性交した悠太は春美の身の上話を聞き、馴染みとなる。春美からも請われて彼女をオンリーにし祝言もどきの儀式を交わした悠太は、醜い傷跡を隠す眼帯や口紅を与えて、彼女を隻眼の美女に仕立て上げる楽しみにひたる。
しかし春美と共にシマで眠ろうとしていたとき、目の前で交合する孕み女と男を見て、このままの暮らしは送れない、どんな形だろうと早く娑婆へ戻るのが身のためだ、と思い知る。すがる春美を置いて職探しを再開した悠太は汚穢屋の職にありつくが、身体に染みついた汚穢の臭気に山手線の中で鼻摘まみ者にされ、「自分だけはウンコなしで、生きているみたいなツラをするな」と思わず声を張り上げる。同時にシマの人間も娑婆の人間も本性は同じで、生きることは苦労なことだと物悲しい思いにもとらわれる。
人から蔑まれる汚穢屋は日当もよい。春美を娑婆へ連れ出し部屋を借りて一緒に暮らすために、悠太はある選択をする。

選評

昭和30年代の上野駅や上野公園に集まる浮浪者たちの姿を思い出せる人は多いだろう。彼らの貧しさと明日をもしれないがゆえの放埒な暮らしぶり、彼らの声やその場の臭気をその傍らを通り過ぎた自分の姿とともに思い出せる人、その後彼らがどのように見えなくなっていったかを思い出せる人も少なくはないと思う。
一度は彼らの中で暮らした体験を持つ筆者によって、この人肉のうごめく異様な作品は書かれた。想像だけでは恐らく追いつかない、実際に体験したがゆえの凄まじい描写は、読むものを圧倒する。
醜い顔の傷と美しい性器を合わせ持つ不敵な娼婦の春美が、悠太がふと示した情によってどんどんいじらしく愛らしく変貌していく様は迫力と哀感の両方を持っている。人が蔑むなりわいに身を投じてでも春美との生活をつかみとろうとする悠太のその野望が果たして実現するかどうかは分からない。
昭和が遠くなり、描かれた時代はすでに50年も昔のことになった。
なのに、この作品で描かれている世界は今の私たちには「近い」ものになっている。そういう身も蓋もない、「シマ」も「娑婆」もない世界で生きのびる男女の、これは真正のラブストーリーである。

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